甲子園のサイレンは怖い?なぜ「あーーーー」と鳴らすのか調べてみた!

甲子園のサイレンはなぜ鳴る? 野球

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甲子園のサイレン「あーーーー」という音は聞き覚えがあるかと思います。

子どものころはあの無機質な音が怖いなと実は思ってました。

今では夏の風物詩と取られていますが、甲子園のサインはあの怖い音をなぜ鳴らすのでしょうか?

調べてみました。

甲子園のサイレンのなるタイミングは1試合では3度鳴ります。

  1. シートノックを始める時
  2. 試合開始の合図を知らせる
  3. 試合終了時

甲子園のサイレンは怖い?

甲子園でサイレンが怖いと言っている人は多いです。

なぜ怖いと感じる理由は

  • 空襲警報のようで怖い
  • 女性の叫び声に聞こえる
  • ゲームSIRENの影響

X(旧Twitter)でたくさん怖いと言っている人は多いです。

甲子園サイレンはなぜ空襲警報のような「あーーーー」と鳴らす?

ラジオが無い時代「あーーーー」というサイレンは普通でした。

この「あーーー」のサイレンは携帯電話がない時代に大範囲に情報を共有することは普通のことでした。

一般的に使われており空襲警報だけに使われていただけではありません。

つまり甲子園のサイレンは戦争とは全く関係ありません

また、田舎の自治体では未だにサイレンで17時を知らせたりしているところがあります。

(というか以前田舎に住んでおり、サイレンが鳴った時に空襲警報かと思って家の外に一人だけ飛び出した経験があります笑)

甲子園のサイレンはなぜ鳴らす?

甲子園のサイレンについては夏の全国選手権大会の歴史をまとめた資料の中に記述がありません。

はっきりとした記述は残ってないので正確な理由は実は誰にもは分かりませんが、説がいくつか言われています。

大きいサイレンで試合開始、試合終了の情報共有

夏の甲子園をラジオで放送をしてなかったころ、スマホや連絡を取る手段がない社会の中、参加者やスタッフ全員に試合状況がを把握されるということが難しかったため、現状の進行を共有するためにサイレンを鳴らしたという説があります。

ちなみにラジオ中継は1927年の第13回大会より始まりましたが、ラジオ中継が始まっても

サイレン伝統は受け継がれました。

サイレンの伝統が途絶えた年

甲子園のサイレンは伝統なのですが、実はサイレンを使わなかった年があります。

昭和12年(1937年)の第23回大会に、サイレンではなく進軍ラッパが球場に響きました。

この年は日中戦争のキッカケとなった盧溝橋事件が起こり、戦時中となり進軍ラッパになったという悲しい出来事があります。

進軍するときに使うラッパの音はこんな感じです。

これでは甲子園は全然盛り上がらなかったでしょうね!笑

甲子園のサイレンは怖い? まとめ

甲子園のサイレンは怖いという人が結構多くいました。

サイレンが怖い感じなのはラジオもない時代のサイレンを使い続けているため空襲警報のような音になっています。

サイレンの目的は試合の状況情報を伝えるためにサイレンを鳴らし始めたと考えられており、その伝統が現在の甲子園に脈々と続いています。(ラジオもない時代!)

今年も甲子園楽しみましょうね!

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