犬王の最後はバッドエンドの中のハッピーエンドでした。
文字で今後について出たときはビビりました笑
犬王の最後らへんのシーンが分かりにくかったので、色々と現実と合わせて調べてみました。
ネタバレを含みますので注意してください。
犬王の最後シーンは?
最後は友有が成仏できずに現代に彷徨っているところを犬王が見つけ、成仏するというバッドエンドの中のハッピーエンドのシーンでした。
室町時代から600年見つけられなった理由は
友有が名前を幼少期の友魚と名乗っていたためです。
これは最後の斬首のシーンで自分の名前を友魚と呼んだことで名前が変わり、犬王が探せなかったという理由になります。
実は名前に関する伏線のシーンは複数ありました。(作中では友魚⇒友一⇒友有の順で名前が変わっています)
- 友魚が友一と名前が変わるシーンで友有の父の亡霊が「名前を変えると見つけられなくなる」と言っていました。(名前しか見えない)
- 犬王と友有が友有の父を呼び出すとき友魚と呼びなおすシーン
本来だったら、名前が分かっていれば見つけることができたのに、名前が変わることで探し回ることになり時間がかかりました。
なぜ最後は友有は幼少期の友魚と名乗ったのでしょうか?
最後の友魚と名乗ったシーンについて考察
私は名前ごとに役割があり、その名前の役割を大きく意識していたためので最後友魚と名乗ったのではないかと考察しました。
その考察は3つあります。
その根拠は3つあります。
- 足利義満将軍の御触れで平家物語は正史のみしか歌うことができなくなったため、犬王の物語が歌えなくなった友有の名前は語れなくなった点
- 友有の名前を友一と名乗れと言われた際に名乗らなく兄者を亡くしてしまったため、友一の名前を捨てた点
- 最後に残った幼少期の名前「友魚」しか語れなかった
最後のシーンが幼少期の姿だったのは現在名乗っている友魚と犬王の関係性から幼少期の姿で成仏したのではないかと考えます。
この映画は名前に対するこだわりが強いなと思いました。
犬王と藤若の考察
今回出てきた犬王と藤若は実在した人物です。
現実では犬王と藤若はライバル関係と言われています。
しかし、作中で
「犬王は猿楽の名手として一世を風靡したが現在には確かな曲が1つも残っていない。一方、藤若はその後「世阿弥」という名をもらい自作曲を伝えそれが今日の能楽を作った」と文字で書いてました。
曲を伝え、それが今日に続く能楽を形作った」
これも実在の話です。
このアニメの中で犬王の雅楽が広まなかった考察は
- 父親が呪いの仮面と契り「(比叡座が)華やげるものになりたい」がなくなったため
- 唯一の理解者友有が亡くなったため(犬王も友有を案じ、足利のいうことを聞く形となった)
呪いの仮面と犬王の呪いの考察
犬王がかかった呪いは2つあります。
- 父親からの呪いの仮面の呪い
- 平家の亡霊の呪い
父親からの呪いは「比叡座」がより華やかになるために犬王を差し出しました。
それによって死ぬところを平家の亡霊が守ったという話になります。
この守った際に異形の形になってしまったという考察です。
犬王を助けた平家の亡霊は「なかったことにされた平家」を伝えて欲しいということ。
なので犬王がステージで伝えれば伝えるほど異形の形が人の形に戻っていくます。
これは手塚治虫のどろろをモチーフにしているのではと思いました。
どろろは妖怪に体の部分を取られ、退治し体を取り戻していく物語です。
取り戻せば取り戻すほど戦闘能力は落ちるという面白い設定ですのでもし興味があれば読んでみてください。
最後は父親が嫉妬から呪いの仮面に献上した犬王を亡き者にするということを願ったため、呪いの仮面の所有物に手を出した怒りで父親は爆ぜました。
そうすると、呪いの仮面の契約は破棄され最終的に人間の姿に戻りました。
犬王の最後のシーンは?実話とアニメを考察してみた。まとめ
犬王最後のシーンや実話について考察しました。
実在の話を変えるわけにもいかなかったのでしょう。
最後のシーンはバッドエンドの中のハッピーエンドとなりました。
後半の実際の話を語る文字での説明にスタッフのくやしさなどが詰まっているなと感じました。
実在の話とは思わず見てたのでそれを知っていたらもっと楽しめたかなと思いました。
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